魚のあら煮
毎日食べても飽きない食べ物は何だろう。
いくら好きとは言えどカレーが3日続くと飽きるものですが、
魚の粗煮は3日続いても飽きないものだと感じます。
なぜなんだろうと少し考えてみると、お魚の旨味と醤油と砂糖とお酒のコンビネーションが、
日本人の心に刺さるのかもしれません。
醤油は日本人なら誰もが馴染みの深い調味料ですが、お魚もお肉より馴染みが深いと感じます。
最近では美味しい粗煮を食べさせてくれる定食屋も減ってきましたし、
お魚の方がお肉より高価な食材になりつつあるせいで、お魚の粗煮を食べる機会がぐっと減ってきました。
しかし島根県に移住してから、大田市に港があることもあって、大田市のスーパーでは、
日本海で捕れた新鮮なお魚が安く食べられるようになりました。
お魚の粗となれば特に安く手に入って、スーパーに行くとつい買ってしまう食材です。
お魚の粗煮がなぜ美味しいのかは懐かしさと日本人が馴染みのある味であるということは言うまでもありませんが、
それ以上に、粗煮の食べる過程に魅力を感じるのではないだろうか?
それはお魚の食べ難さにあるのではないか?
小骨の多い粗煮は食べるのが面倒ですし食べるのに少しコツがいります。
しかし骨と骨との間や頭周辺にある身の部分には、
なんとも言えない歯応えと旨味が濃縮されているからではないか?
少しずつ骨をどかしながら身をむさぼるように食べるその動きが、
人間の感覚を鋭くさせ、より美味しいといった感情を惹きたたせるのではないか?
お肉で例えるとスペアリブを食べているイメージですね。
この島根には魚の粗煮のような自然の荒々しさと不便さと面倒臭さがあるからこそ、
より楽しめているのではないだろうか?
人と野生の動植物、そして全ての生き物が共存したこの空間だからこそ、
飽きない場所のように感じられるのかもしれないですね。
大切なことほど面倒なものの中にあると宮崎駿さんも言ってました。
人が幸せと感じる瞬間を多く味わうためには、少しの不便さと少しの面倒臭さといった、
お魚の粗煮のような何とも言えない気難しさが共存しているからこそ人は幸せと感じられるのだと思っています。
最後に一言。
家から1分の場所に三瓶山の登山口があります。
そこから三瓶山への登山を体験しました。
所々にまだ残雪があるため、最後まで辿り着けなかったのですが、
未知の山に何の情報も入れないまま登る恐怖感とわくわく感、
そして体力的な不安や怪我への不安等などあげるとキリがありませんが、
登山もお魚の粗煮のような不便さと面倒臭さがあるからこそ、
感動と楽しさを感じることができるのかもしれないですね。
東京にいた頃からすれば、色んなことが未知との遭遇ばかりですが、
それでも人間はその環境を受け入れようと努力を重ねてくれているのを、感じずにはいられません。
登山をしてみて、膝が完治してくれたのだと改めて確認することが出来ました。
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